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【実体験】フリーランスエンジニアとして年収1000万稼いだ方法を赤裸々に語ります

皆さんこんにちわ( ̄▽ ̄)

 

現在、新宿でフリーランスエンジニアとして活動しています、Hujisawaです。

 

本日は、自分が実際にフリーランスエンジニアとして、年収1000万円を稼いだ方法を、全て赤裸々に道筋に沿って贈る記事になります。

 

私は、19才からフリーランスエンジニア的な活動をしていますが、現実的に、フリーランスのエンジニアとして年収を爆増させるのは難しくないです。この件は、既に業界の色んな人が言ってますし、私自身も、同意見です。今の時代なら、二十代でもプログラマーなら才能がなくても年収1000万は全然射程距離です。

 

おそらく、この記事を読んでいる方で、新卒や通常勤務にて、月収手取り30万でお給料を貰っている方とかは、この状況は想像を絶する世界だと思うのですが、実際、誰でも実現できる方法だと言うことを証明していきたいと思います。

 

あくまでも自分が経験した出来事ベースで書いていくので、多少ポジショントークみたいに終われるかもしれませんが、別に自分は何も特別なことをしてないですし、参考にしていただいて行動さえすれば、年収1000万、実現可能です。

 

では、行ってみましょう٩( 'ω' )و

17歳、インターンでプログラマーとしてデビュー、時給1000円で働きはじめる。

まず、私がプログラマーとしての活動をはじめたのは、もうずいぶん前の話しになりますが、17才(だった気がする)になったばかりの頃でございます。当時はまだ高校生だったのですが、インターンで受託系の企業様にプログラマーとして雇用いただきました。

 

自分はその当時、全ての知識に無知でして『掲示板ってどうやって作るん?』とか『GitHubって何がそんなに美味しいの?』とかすら五里霧中。1〜10まで先輩エンジニアに質問しまくり。

 

先輩エンジニアから『新しいプログラミング言語は日本語の情報も少ないから英語で学ばないといけないんだよ』みたいなことを聞き『え〜〜英語とか苦手やから無理だわ』とかほざいてました。

 

その上、当時はQiitaもなかったですから、まだまだプログラミング系の情報って探しずらかったりしたんですよね。もちろん、個人のブログはいっぱいありましたが、皆さんもご存知の通り、ブログってアクセスを継続的に集めるの結構努力が必要ですので、誰にも読まれねえならみたいなテンションで、皆んな半ばテキトーに書いてる記事が多かった印象。

大学を辞めて正社員として受託系の企業へ入社。30万前後の給料をいただく。

インターンとして半年ほどGitやらReactNativeやらをバイト的感覚で勉強していくなか、やがて高校を卒業して、そのまま同じ会社に就職することになったのですが、同時に夜間大学にも通いはじめましたので、時短勤務の社員という特殊な雇用形態で、再度雇用をしていただきました。

 

んで、そこからの数年のキャリアは固定して、一生懸命プログラミングをして普通に働き続けていました。僕は技術がこう見えても大好きだったので、プログラミングは楽しかったし、好きな仕事をしてたので、そこまで金に興味がなかったんですね。(まあ、残業代目当てに無駄に残ったりはしてたけど)言語としては、当時は、一貫してRails(Ruby)の業務に打ち込んでました。

正社員を辞めてフリーランスへ転身。複数の仕事を掛け持ち。一気に月収65万円くらい。

20歳になった頃には、会社は退職しフリーランスになってましたね。成人式の日も(確か土曜でした)寒い中、常駐先のオフィスにお節介にも出勤させてもらってサクサク実装に励んでました。まあ、実は正社員で働いてたときも、ちょくちょく会社に内緒で土日に副業したり、夜リモートで稼働したりして、手取りは増えてたんですけど、本気でやってなかったので50万は超えてなかったですね。

 

ちなみに、僕がフリーランスになろうと思ったきっかけは結構単純で、正社員で普通に安い給料で働いていく中で、ちょくちょく当時盛り上がりつつあったエンジニア専門の転職サイトでいろんな求人を覗くようになって、興味本位で様々な企業の人とお話しをさせていただく過程で気が付いてしまったんですね。『もっとお金稼げるんちゃうん?』

 

んで、そうひらめたい僕は、早速行動を開始。具体的には、GreenとかWantedllyとかの採用媒体を使って、お金を持ってそうな求人に応募しまくり、週に2回の勤務や、週に3回の勤務や、夜だけ働ける会社や、リモートで土日に働ける会社を探し出し、一個の企業から15〜35万円の仕事を受注して、それを4企業くらい得ました。

 

その当時は、まだレバテックみたいなフリーランスエンジニア向けのエージェントは有名じゃなくて、自分で営業=>面談=>採用まで持っていかなきゃいけなかったし、当時の僕は、自分一人で一個の案件だけで高い手取りがもらえる仕事を手に入れることが出来そうにないと感じてましたので、収益を分散させる戦略を用いました。

 

(安い給料ならば、ポテンシャル採用の希望も込めて、そこそこの金額で、柔軟な働き方で、採用をいただけるのでは?と思ったわけです)

 

そして、その戦略はうまくいき、収益を分散させた結果、出勤地も多岐に及び、月曜日は横浜、火曜日と水曜日は秋葉原、木曜日と金曜日は渋谷、土日リモートでカフェ、平日の夜もリモートでカフェで働くみたいな、かなり燃費が悪い状況にはなったものの、お金を前よりは沢山産むことができるようになりました。

英語を学びたくてワーホリでカナダへ移住。スキルシート主義な文化を学ぶ。月収35万円で働く。

21歳になり、自分の心の中で何か別な欲求が湧き上がっていることに気がつくんですね。それは、海外に行きたいいいいいい!!英語コンプレックスうううううううう!!ってことでした。

 

せっかくだから海外でプログラマーやってしまおうってことで、多動ワークで稼いだ金を資金に、カナダのバンクーバーに行くことにしました(本当はアメリカに行きたかったんですけど、ビザが厳しそうなので)。速攻ビザだけとって速攻準備して即渡航、21歳になったばかり(2月でした)カナダに到着してましたね。

 

カナダに到着して、仕事を見つけるまで二ヶ月くらいかかりました。最初はルームシェアの家をステイしながら、ダウンタウンでやってたプログラマー向けのMeetupに参加したり、Tinderで出会ったお白人の女子(白人の女の子かわええ)と遊んだり暇を謳歌してましたね笑

 

それと同時並行で、ポートフォリオを作ったり、個人サイトを作ったり、Meetupで出会った友達にインタビューとスキルシートのアドバイスをもらいながら準備して、しばらくするとIndeedとかLinkdinとかクレイグスリストとかで応募しまくった企業から、ちょくちょくオファーをもらいました。んで、結果的には現地のイベント主催系の会社(テック系の会社じゃなくてマジ残念だったけど損切りした)で採用され、エンジニアとして働くことができました。

 

採用までのプロセスを若干省きましたが、別に簡単ではなかったです。事実、テック系の会社では働けなかったし、北米って日本のIT企業みたいに、とりあえず会ってみようみたいな文化もなく、スキルシートが未熟だと容赦無くバッサバッサ切られます。お話しにもならないみたいな。その上、日本みたいに求人は多くないし、シリコンバレーに近く英語圏の国なので優秀な英語ネイティブのエンジニアと熾烈な競争を戦い抜かなければいけません。

 

別に日本人って超優秀な人多いので、北米でも全然戦えると思いますが、僕はプログラマーとして残念ながらそこまで賢くないし、英語力もまだまだ弱かったんですよね(かなC)。ちなみに、北米ってエンジニアの価値は当時から日本よりも超高かったので、普通にジュニアのエンジニアでも日本円に換算して70万とか給料もらえるはずなのですが、僕の場合は、インタビューの交渉で『年収450万くらいあればいいっすわ』って言ってしまったので、当時の給料は大体3500ドル前後になってしまいました。

一年後に日本へ帰国する、単価70万の案件を取得し一個テスト書く副業を回して月収90万。

一年後、バンクーバーでの仕事を切り上げた僕は、日本に帰ってくることにしました。バンクーバーでの生活は素晴らしいものでしたが、様々な理由を経て帰ることにしたんですね。

 

日本に戻ってから、僕はまたgreenやwantedllyでの営業活動を開始したのですが、そのときに初めて知ったのが『エージェント』という存在だったんですね。greenで面談の予定組んだ会社様が、最初は普通の求人だと思ってたんですが、よく聞くと常駐で会社を紹介するエージェントさんだったんですね。

 

『え、ぶっちゃけ手取りいくら稼げるんですか?』と単刀直入に聞いたのですが、『このくらいのスキルシートであれば70万は最高でめお可能かと思います』と言われたんですね。正直若干驚きましたね。今まで僕は、収益を分散させる方法で、かろうじて60万後半台をヒイヒイ言いながら稼いでたんですけど、

 

一本釣りで70万ももらえるん?!って思いました。多分、それは僕が北米時代に培ったスキルシートの作成術も功を奏したんだと思いますけど

 

にしてもーーーー!って感じでしたね。僕は『そうですか、それはいいですね』という感じでエージェントさんを利用させていただき、数社目の不採用を経て、見事浜松町の70万円の常駐案件を得ることができました。

 

あとはもう簡単です。rubyで一週間フルタイムで働きながら70万を落ち着いて稼ぎつつ、今までやってた収益の分散方法を駆使して、Wantedllyで出会った二子玉川のスタートアップさんへ営業に出かけて、rubyでテスト書く仕事を時給3500円くらいだったかな?!で得て、空いた時間にテストをバーーーって書いてたら(普通に機能も実装してたけど)気がつけば月収90万を超えてましたね。

以上、年収1000万円を超える。ハッピーハック 🙂

ここまでで、僕がフリーランスエンジニアとして年収1000万を稼いだ経路を赤裸々に語りました。

 

プログラミングを学び仕事を覚えて => 会社をやめて収入の分散をはかり安い報酬で多量の勤務を稼働するようになり => 資金を貯金してカナダへ渡り、英語とスキルシート&面談の技法を体得し => 日本に帰ってそれら総合的な知見と経験を用いて70万の仕事をエージェントさんから紹介していただき、他方で営業テクでリモート案件を一個掴んだという流れです。

 

ここまで聞いてぶっちゃけ、自分でもできると思いませんか?長く語ってきましたけど、要約すると僕がしたのは二つだけです。

ポイント

  • 1 エージェントに登録して高単価案件を紹介してもらう
  • 2 営業媒体を駆使してリモート案件を一個とる

 

コツや経験則はあれど、全くこれらを上手にこなす為に必要な技術や才能は多くはないはず。フリーランスエンジニアとしてお金を稼げない人の99パーセントは、精神的な問題だと思うんです。

 

正直なことを包み隠さず言うと、今に至るまで、僕は注意&叱咤され続けてここまで来ています。プログラミングの能力は、お世辞にも高いとは言えません。流石に最近は(事実として)経験値が積み上がってきてるので、昔よりは死亡フラグが立つことは少なくなりましたが、キャリア一年目や、フリーランスを始めた2年目とかは、クッッソやらかしまくりでしたね。

 

『俺ってなんて才能がないんだろう...』『これってもはや給料ドロボーでは...』とかさえ思ったことがありますし、二ヶ月未満でクビになったことは全然あります。僕はその度に『技術だからいずれ継続してりゃ出来るようになるやろ、プログラミングは辞めなきゃええんや、利益にフォーカスしてこ』と切り替え、開き直り、やってきました。

 

プログラミングの仕事は、将来も絶対になくならないことは言わずとも知られてる事実すから、いくらクビになっても仕事はあるし、仕事が好きなら技術はかたつむり並みでも成長してくんで、全く心配してなかったですね。

 

皆さんも、是非とも、振り切って、自分の不安と戦ってほしいです。リスクはないとは言いませんが、今の時代誰でも年収1000万とか稼げる職業は多くないと思いますから、得られそうなメリットを天秤にかければ、絶対に挑戦すべきだと思います。むしろ正社員とかで安心してる方が超危険というのが僕の価値観

 

敵は常に自分

 

ありがとうございました\\\\٩( 'ω' )و ////

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