経済合理的で理にかなっているという面で文化を、思想を、アートを、宗教を、天皇を、象徴を、もっともっと大事にすべきだと思ってる

文化を、思想を、アートを、宗教を、天皇を、象徴を、もっともっと大事にすべきだと思ってて、それは、右翼的な感じで言ってるのではなく、国を人を強くするために、極めて経済合理的で理にかなっているという面で、そう思います。
ということを、書きました。良ければ読んでみてください!

 

(追記 : 赴くままに文章を書いたら理路整然と書けてない部分がありますが、仕事の合間に時間を削って書いたので許してください)

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最も合理的に人を束ねて集団を維持する方法こそが、実は宗教とか文化とか哲学の類いだと思っているので、側から見てたら、そういう精神論っぽいことって、合理的ではないように見えますけど、

実は人間を動かすということに関して言えば、合理的であるが故にキリスト教なんかは無限に続いているんですよね。

「3か月」の使い方で人生は変わる Googleで学び、シェアNo.1クラウド会計ソフトfreeeを生み出した「3か月ルール」という本に下記のような言葉が書いてあったのですが、

この言葉が個人的に凄く納得できました。この本にはまだまだ色々な有益情報が書かれてるので是非読んで欲しいのですが、なぜGoogleに強い人が集まり続ける文化が形成されているのか、が良くわかりました。

たとえば、人と人とのコミュニケーションを効率化するのは、なかなか難しい。だから僕は、人間関係にはある程度の時間の投資が必要だと思っている。時間もお金もそれなりにかけるべきだと。それは、そのほうが合理的だから。それに仕事がしやすい良好な人間関係を構築することで、結果的には仕事の生産性も上がる。グーグルでは、チームビルディングに多額の投資をしていた。でもそれは、フィロソフィというよりは、そのほうが合理的だと判断してのことだろう

今までは僕も、冷たいくらいの資本主義の世界観の中で生きてきたので、二十歳くらいのときまでは、

『世の中は昔も今も経済合理性を極めようとし続けているのに、なぜ文化だの天皇だの大事にしているのだろうか』と思ってたんですけど、

ある時点を境として『そうかあ、文化を大切にすることって、国を、人を強くするために超大事なんだなあ。人々の熱量を最も高めるための、有り体に言えば理にかなった方法なんだなあ』と強く学びました。

ベンチャー企業とかで世界を変えまくっている企業とか色々ありますけど、そういう人たちが常々やっていることも、世の中の非合理を、より合理的に効率的にするってことじゃないですか。そこを信じられるから巨大なリスクとかも取れると思うわけなので、

経済合理性を極めるというのは、ある意味では絶対の正義みたいに僕は思っています。

アメリカとかは、昔からイノベーション大国で、新しい言葉とか概念とか文化のるつぼみたいな感じだと思うのですが、そういうのが生まれ続ける秘密も、まさにここにあると思います。超ゆたかな思想が沢山あって、先進的な地域はダイバーシティに溢れてて、真ん中の保守的な人が集まるところでさえ、偏ってはいますがマジで色んな価値観を持った人がいるじゃないですか。(良くも悪くも)

シグナル&ノイズって本があって、そこに書かれてる言葉も好きなので、良ければ紹介しますけれども、

アメリカ人を定義づけるものがあるとすれば──アメリカ人がほかとは違う部分があるとすれば──、それは自分の運命をコントロールできるというシーザーと同じ信念を持っていることだ。アメリカという国を産業革命の幕開けとともにつくり上げたのは、思想の自由が科学や商業の知識も広めるということを知った、宗教の反逆者たちだった。アメリカの強さ(創造力と勤勉)も弱さ(傲慢さと短気)も、自分で道を選択してきたという揺るぎない信念から来ている

アメリカ人とは?を定義付ける文章が超好きな話 (アメリカ人とは?を定義付ける文章が超好きな話)

うん、なんかわかる気がする!と僕は思うわけなんですよね。

昔、落合陽一さんの本を読んでも似たようなことが書いてあって、目から鱗が落ちたのですが、やっぱり僕の感覚的に理解できたことは正しいかったと嬉しくなりました。

ちょっと長いですが、引用を紹介します。

こうした状況を変えるには文化性を持つことが大事ですが、文化を育むには50年単位の時間がかかります。文化は守らないと存続しないものですし、積み重ねるのにとても時間がかかります。文化とは、人の知の蓄積そのものであって、それは一番価値が高い。人の到達点を文化に変換するからこそ、アート作品は高いのですが、拝金主義の人たちにはバスキアの絵がなぜ100億円もするか市場原理以上の感覚では理解できません。

欧州では、アーティストや博士はとても尊敬されています。それは社会に価値を生み出しているからです。アーティストというのは、人類が今まで蓄積してきた美の最大到達点をさらに更新しようとしている人たちです。博士というのは、人類がそれまで蓄積してきた知の領域をほんの少しだけ外に広げる人たちです。だからこそ、社会的価値がとても高いのですが、日本ではそうした認識がありません。

日本が文化の価値を取り戻すためには、学ぶべきは江戸以前の文化です。日本人は本質的には文化価値や職人芸を認める伝統があります。そこに、お金への信仰という尺度はなかったはずなのに、いつのまにか拝金主義が入ってきてしまいました。

今の日本では職人に対してリスペクトがあまりに少ない。職人の年収が300万円と聞いたら、職人にならない人が多いでしょう。しかし、たとえば地方の農村であれば、年収300万円でも十分暮らせるのだから、もし自分が好きなのであれば、胸を張って職人になればいいのです。

仮に僕が、地方の山奥で焼き物を焼きたくなって職人になって、10年経った後にまた今の仕事に戻ってマネジメントやリサーチの仕事を始めたら、もっとクリエイティブになれると思っています。年収レンジはもとに戻るか、むしろ、以前よりも上がるかもしれません。職人の仕事など、複雑な身体性に関する理解はそれぐらい価値があるのです。

文化を、思想を、アートを、宗教を、天皇を、象徴を、もっともっと大事にすべきだと思います。それは、右翼的な感じで言ってるのではなく、国を人を強くするために、極めて経済合理的で理にかなっているという面で、そう思います。

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藤沢瞭介(Ryosuke Hujisawa)
  • りょすけと申します。18歳からプログラミングをはじめ、今はフロントエンドでReactを書いたり、AIの勉強を頑張っています。off.tokyoでは、ハイテクやガジェット、それからプログラミングに関する情報まで、エンジニアに役立つ情報を日々発信しています!

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