読んでいて面白い文章とはまさに、こういう文章。

 

 

一見、日常には偶然に左右されることなどあまりないと思えるかもしれない。毎日同じ時間に起き、同じ時刻の電車に乗って同じ職場に行き、予定されていた仕事をこなし、いつもと同じ店で昼食をとり、また仕事をして家に戻る。そして夕食をとって風呂に入り、いつもと同じ時間に寝る。昨日と変わらない今日が来て、やはり同じような明日が来る。すべては予定調和的であり、偶然が入り込むすきは多くはなさそうである。だが、そんな予定調和的に見える日常ですら、実際には無数の偶然の上に築かれている。なぜあなたは、あなたの両親から生まれたのか。あなたの人格を形成するうえで重要な意味を持つ幼少時での出来事のいくつか、あるいはほとんどは偶発的な出来事だったのではないか。大学の入試で、答えが分からない○×式のたった一つの問題で、○を選んだか×を選んだかで合否が分かれることもある。就職でも、面接官との相性が運命を決めたかもしれない。結婚相手と知り合ったのは、たまたま入った会社でたまたま席がとなりだったからというケースも少なくない。通常は、能力や働きぶりによって決まるとされる出世や昇進ですら、意外なほど偶然に決まっている。同期の出世頭がエリートコースに乗ったのは、たまたま社内の実力者と同じ大学のゼミの後輩だったからにすぎないかもしれない。いったん出世コースから外れて左遷された人でも、大掛かりな不祥事で次期社長候補が全員退任させられた後に、突然社長として本社に呼び戻されることだってある。何気なく車を運転しているときに、あとほんの少しの偶然が加わっていたら思わぬ大事故に巻き込まれていたかもしれないし、反対に、実際に事故にあってしまった人もわずかな偶然さえあればそれを避けられたかもしれない。これらの偶然を、人はしばしば運命と呼ぶ。だが、もし別の結果になっていたとしても、その別の結果を同じように運命として受け入れているであろうことは容易に想像がつく。たまたま違う会社に入ったとしても、そこで別の出会いがあったとしても、左遷されたままで結局本社に呼び戻されることがなかったとしても、それはそれで十分に運命的である。いずれにしろ、日常を支える無数の偶然の大半は、あらかじめ定められた運命などではなくて、あくまでもまったくの偶然なのだと考えたとしても、決して無理はないだろう。そして、この日常が、まったくの偶然が数多く積み重なった結果であるとするならば、それは奇跡的な存在確率で成り立っているものであるといえる

田渕直也. 確率論的思考 金融市場のプロが教える最後に勝つための哲学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.337-360). Kindle 版.

 

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藤沢瞭介(Ryosuke Hujisawa)
  • りょすけと申します。18歳からプログラミングをはじめ、今はフロントエンドでReactを書いたり、AIの勉強を頑張っています。off.tokyoでは、ハイテクやガジェット、それからプログラミングに関する情報まで、エンジニアに役立つ情報を日々発信しています!

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