俺は昔、
百田尚樹の小説、モンスターという作品を読んだことがあります。
この本のあらすじを簡潔に言うと、
化物みたいに不幸な見た目をした女の子が、社会から虐げられ、
悲しみ、怒り、半ば反逆心を燃やすように美容整形を繰り返していく物語でした。
この本の中で表現されている主人公の見た目の醜さは凄まじくて、
どういう思考回路をしてたら、こんなに人間を醜く描けるんだよと思いました。
まあ、なので実際に主人公が美容整形を繰り返してく過程では、
『いやそんな劇的に変わらねえだろ』とかは思ったのですが、、、
だって、そもそも今の美容整形の技術では、
顔面を1/2にすることもできなければ、手足を2倍にすることもできないわけで、
人の印象の8割は目で決まると言われているけれど、
俺らがいつもテレビで見るような、Kpopアイドルみたいな見た目の人間を作るためには、
生まれ持った土台が恵まれてないと全然不可能でして、
俺はそういう物理的な知識を持っていたが故に、
「いやこんな話ないやろ」って思ったわけです。
だがしかし、
それと同時に、俺はこんな風にも強く強く思いました。
『この女の子が抱えている痛み本物だろう』
と。
この小説を読んだ時、俺は高校生2年生だったけど、
俺は、自分が16歳だった頃に抱いた見た目に対するコンプレックスを今でも鮮明に覚えています。
当時通っていた高校は、エジプトよりも高い外見ヒエラルキーのピラミッドが存在した場所で、
三年間の高校生活で目にしてきた奴らの名前を上げてしまえば、
佐藤勝利、京本大我、三吉彩花、川口春奈、
これは、
全然嘘でも何でもなくて、事実です。
それで、真っ白で純粋で、死ぬほど負けず嫌いな16歳の男の子が、
こういう残酷な世界に放り込まれると、どうなるか想像ができるでしょうか。
そうです。
自分のアイデンティテを完全に見失います。
JUST LIKE HER !!!
若い頃というのは、自分が生きている世界が狭すぎて、表面的な価値観に強烈に引っ張られ、拘泥してしまうんですね。
まともな神経を持った大人びた人には考え付かないかもしれないのですが、
大概人間は、クソほどちっちゃなことにこだわる生き物なのです。
今となれば、別に羨ましいとか全然思わないけど、
当時の俺の頭の中に、毎日のように鳴り響いていた言葉は、
これです↓
『なんて世の中は不公平なのだろう』
大体からして、見た目の良し悪しというのは、そもそも不公平極まりないものでして、
本人は何の努力もせず、恵まれて生まれてきただけであって、
それは単に、ご両親の功績であって、本人の実力ではないのですが、
むしろ世の中では、そのような価値は、
生まれ持ってきたからこそ価値だみたいな風潮すらあります。
それって、おかしくね?!
二世の金持ちは称賛されないのに、二世の美人/美男子は称賛される。
それって、おかしくね?!
自分の力で金持ちになった奴は称賛されるのに、自分の力で見た目をよくする奴は称賛されない?
それって、おかしくね?!
とまあ、
卑屈極まりない価値観に、当時の自分は完全に囚われており、
当時、有吉のサンデーナイトドリーマーのゲスナーだった僕と、少数の愉快な仲間たちは、
クラスの端っこに集まり、自分たちをゴキブリ系だ...
やめましょう、そろそろやめましょう。いい加減にやめたほうがいいですね。これ以上行くと嫌われそう。
まあ、だから、そういうわけで、
俺は当時、この本の主人公に大いに感情移入したわけでです。
この本の主人公のように、不公平に挑む姿は勇敢でカッコよくすら見えました。
見た目というのは、極めて表面的なものですが、
恐ろしくパワフルです。
この言葉は、Looks aren't everything. Believe me, I'm a model (外見はすべてではありません。 私を信じて、私はモデルです)
というTedでスピーカーをしてた女性が言っていた言葉です。
この動画のコメント欄でも、誰かが『韓国は明らかに外見が全てです』というコメントがありましたが、
世の中では、今この瞬間も自分の見た目の良し悪しに拘泥し、人生の価値を測り間違っている人で溢れています。
勿体無い。
見た目がいいというのは、
数学が超得意とか、
めちゃくちゃ絵が上手いとか、
誰よりも努力が継続できるとか、
歌も演技も上手だとか、
そういうのと変わらない多くの才能の中の一つってことで、
巨大なトピックとして捉えないことが大切ですな。