
成長を伴う為の再現性の高いルールを言語化することに成功した | 成長したい人は必見です
https://youtu.be/HX6-9AoAoWM
こんにちわ、お元気に過ごされていますか。
昨晩、真夜中の多摩川の川辺をトボトボ散歩してたら、何の気になしにアイディアが浮かびました。
そのアイディアとは、”人が成長する為に必要なルール”をブログに書いてみようってことでした。
どうして、そんなことを思いついたかと問われれば、
成長という言葉が、非常に感覚的なものと捉えられてると思ったからです。
が、個人的には「成長が伴う」為には再現性のあるルールがあると思っておりまして、
ある意味、当たり前のことを、これから言うかもしれないけど、
敢えて明確に文字に起こすことで、
新しい「概念」として取り入れられる人がいたら嬉しいなって想いで書いてみます。
人が成長を伴う為に必要なルール
じゃあ、早速、「人が成長する為に必要なルール」を言いますと、
勝負事に例えると分かりやすいと思うんですよね。
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練習(辛い面倒くさい)=>試合(本気緊張)=>結果(勝ち負け)
[/st-mybox]
この三つをしっかり貫通すると、成長が伴うのではないかと思うわけです。
別の言い方をすると、勝ち負け、白黒、を自分で痛感できると成長が伴うのかなって思うんです。
逆に言えば、
この三つをちゃんと貫通しないと、著しく成長の度合いが減るんじゃないかなって思っておりまして、
勝負の世界で本気で生きることが出来ている人は、成長が早いと思っています。
私は、小学生のころ、よく友達とチェスを学校でやってたのですが、
仮に、勝負で明らかに負けそうでも、
ちゃんとチェックメイトを決められて負けるのと、もう、この勝負は俺の負けだから、やる気失せる~って途中でやめるのとは、全然、自分の腹に落ちる感覚が違うと思うんですよね。
結局、「腹に落ちる」なんていう感覚的なものになってしまって恐縮なのですが… w
つまり、途中でやめたら成長できないってことです。ちゃんと最後まで、感情と付き合わないといけないです。それが、大事です。感情の成長が大事です。
自分でやると意思決定して、辛い練習をちゃんと毎日やって、そのうえで勝負は本気でやって、
勝つか負けるかはこの際どうでもよくて、ちゃんと結果を貫通すると、成長が伴います。
新しいことに挑戦したら途中でやめたらいけない
成長が伴わずに半端に諦めてしまう事例としてよくあるのが、
仕事や趣味で、新しいことに挑戦する機会があるときです。
なんでもいいのですが、
自分で始めたブログでも、自分ではじめた投資でも、自分で始めた商売でも、自分で始めたフットサルでも … etc
新しい何かを長く継続するというのは、人類史上最も困難を極めることなのですが、
もし本気で成長をしたければ、途中でやめないでください。
余談ですが、
私が高校生のころ一時期だけバイトしてたスーパーの店長が、こんなことを言ってました。
私_「店長、なんで学校なんて行く意味あるんですかね?」
店長_「学校に一度でも行き始めたら、最後まで卒業するというプロセスが大事なんだ、途中でプッツンと切ってしまうことが問題だと思う、だからちゃんと卒業しろよ。途中で半端にやめてしまうことが君の人生にとって損が大きいんだ」
今考えると深いなああああって感心しています。
まあ、その後、自分は大学を辞めてしまったんですけどねw
話しを戻すけど、
せめて、練習しまくって、ちゃんと試合で負ける or と勝ついうプロセスを経てほしいなと思うんですよね。
毎日、何も起こらないような職場や、毎日の繰り返しは、確実に人を老化させると思います。
人と競争をしたり、試合で負けたりするのは最初はつらいですが、
成長を伴うためには競争は絶対に必要だと思いますし、
試合の結果をちゃんと貫通すると、驚くほど人は成長するのでおすすめです。
では最後に、全然関係ないっですが、最近読んだ本でとんでもなく素晴らしい文章を書く人を発見したので、その文章の一節を紹介します。
かつて「二十代の人生の質は、出会った言葉で決まる」と書いてある本を手にしたことがある。思えば人生に低品質も高品質もない。いまや未来もへったくれもない。しかし私は当時若く、愚かで、傲慢だった。ならばと、数万冊の本を読むことにした。 だが、いまどのように人生を振り返っても、一人の人間の人生は、出会った言葉で決まるものとは思えない。預金額で決まるとも恋愛だの結婚で決まるとも思えない。 一人の人間の人生は、ある夜友人が電話で語ってくれた台詞、または恋人がふとした瞬間吐き捨てた台詞、バーで隣の男が語ってくれた一夜限りの話、なんの救いもない都会の景色、あるいは、特別ではない夜道で雨のように己の全身を貫いた、言葉にもならない気づき。そういったものによって人生は決定されたように思うのです。
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まるで村上春樹を彷彿とさせる様な素晴らしいライティング節、心が、動いた。
ではまた、さようなら。