豊臣秀吉と松下幸之助に学ぶ『素直な人』の心得
皆さんどうも。
今日もQuoraの質問に答えていくで。
今日選んだ質問はこれや。
素直というというのは、その時代の道徳心に従うことです。
そして、素直な心になるということは、極めて難しい。
素直なれよと言うのは簡単だが、実際にやるのは難しい。
しかし、素直になると言うことは極めて大切です。
何故ならば、素直な心というのは、道徳心と直結しており、正しいことを行わせてくれるからです。
デイトレードという短期投資の哲学書にはこんな言葉が書いてあります。
“非常に稚拙な戦略であっても、しばらくの間は利益を上げることもあるし、逆に、非常に健全な戦略であっても損失を被ることはある、しかし、時間の経過に耐え得るのは健全な戦略のみだ。”
素直であるということは、時間の経過に耐えうる健全な戦略を作るために欠かせない要素なのです。
戦国時代、織田信長が明智光秀に謀反起こされて死んだとき、一番最初に京都へ駆けつけて、光秀をやっつけたのは、秀信でした。
秀信のこの行動は、彼が信長の次に、天下をいただくために、利己的な動機から発生した行動でしょうか。
そうじゃない。
大体からして、京都の回りには、秀吉以外にもいくらでも仲間の武将はいたのです。
戦いというのは、そんなに単純ではなく、為替の相場と違い、戦国時代は負けたらお金を失うだけでは済まない、命を失うのです。
当時の天下人であった信長が家臣に討たれるというショック相場が発生した場合、多くの人々は勘繰り、恐怖に陥り、動揺し、身を案じて静観するのが、殆んどの人が選択する行動です。
何故、秀吉は一目散に明智光秀を倒しに京都へ迎えたのか?
道徳心です。
並びにその心は素直であることの証明なのです。
戦国時代の道徳心というものは、自分がお世話になった大将が討たれたとなれば、大将の敵(かたき)を放置したまま、同じ太陽の元で生きることなど到底無理なのです。
自分が死ぬか、相手を倒すか、やらないといけないのです。
それが、その当時の道徳なんです。
負けるか勝つかわからないが、
そのときの道徳に従うということ、これが大事なのです。
何が正しいかということによって決行しなきゃいけないのです。
勝ったらええなとか負けたら困るなとか、そんなことはもう余計なことです。
勝ってもよし負けてもよし、やるべきことはやるということです。
そういう諦めがつかんと大事は決行でけない。
だからいちばん素直やった秀吉に運命が転がり込んだということです。
みたいな話を、松下幸之助の本、書いてあって、偉いひとやなあって思いました。
デイトレードの下りは僕がちょちょいと追加しました。
では最後に、松下幸之助が素直な心を体得するために必須なことを、原文のまま紹介します。
素直な心になるのは、なかなかむずかしいねん。すぐになられへん。素直な心になることは非常に大事やけれども、そう簡単になれん。ましてすぐに素直な心になるということは、とてもできない。それで、ぼくはこういうことを考えたわけや。それは素直な心になるということを日々心に念ずると。朝起きたら、仏壇のあるところやったら仏壇、神棚のあるところやっ神棚の前で、「きょう一日素直な心で無事にいかせてください」と心に念ずる。それを三十年やったらな、三十年続けたら、まあ大きなまちがいなく、素直な心で、ものは見えるやろうと。要は素直の初段やな。素直な心の初段になるにはね、三十年かかると。